ボクの心は,みえますか?
quote:ウェブログはいまの時代の課題について議論するおあつらえ向きのメディアのなかで,重要な役割を果たしている。だが中国では,ある種の慎重さが支配している。政府は偏執的な監視を続け,ネットを操作し続けている。ブロガーはブログになにかを投稿する前に,まずそれが危険かどうかを考える。政府によって閉鎖されたブログはたくさんあり,ここに至って言論の自由の限界にあえて挑戦するようなサイトはほとんどない。
「『だれもボクのことなんかわかってくれない』。子どものときは,ずっとそう思っていた。でも,いつからだろう,そんなことを思わなくなったのは。いろんな人と一緒にいることがあって,ほかの人のことをわかることなんて,そもそも無理なんだと云うことを知っていった。自分の心は自分で知ることができるが,他人の心は,いつも混沌としている。捕まえたと思っても,それは結局心のオマケみたいなものでしかなく,本当の心,は垣間みることもできない,誰にも触れられない場所に沈んでいる。人の心は,いつもそんなものだ。それがわかったから,自分のことをわかって欲しい,全部知って欲しいなんてことも思わなくなったのかもしれない。
ブログがあれば,その人のことがわかる,と云うのは間違いだ。記事にもあるように,中国では牢獄に入れられる危険を冒してまで,わざわざ自分の政治的な主張を書き続けるような人などいない。そして,言葉は常に自分の心をそのまま映す道具ではない。自分の心と異なることをテキストで表すことで,本当の自分の心は安らかになれる,こともある。でも,ブログのテキストがうそであっても,作り物であっても,その人の心の底の混沌のなにかが,うっすらと表れていることはある。その人のすべてをわかることなんてできないけど,かすかに表れている,心象,それを感じ取れれば,この世界は少し生きやすくなる」。
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